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12月31日(木)

父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers, クリント・イーストウッド, 2006)

いまや名監督としての地位を確立しているイーストウッドの作品で、評判にもなっていたものなので、当然なのかもしれないが、実はセットで製作された「硫黄島の手紙」がいまひとつ心に残らなかったため、あまり期待しないで観てみたところ、びっくりするほど心に響いてきた。いろいろなことを感じたり考えさせられたりしたのだが、何が一番心に残ったのかというと、兵士達が帰国した後、祖国で国債を買わせるための宣伝キャンペーンにかり出され、たくさんの俗物に出会うのだが、それを声高に告発するというよりも、そうだろうな、実際にあの戦場にいないと、主人公達の気持ちは理解できないだろうな、と納得させるようなところがあったことか。たとえば、何の気もなしにインディアンを傷つけるような発言をする人がたくさんでてくるが、なるほど人の痛みにはなかなか想像が及ばないものだなと感じ入った。それからすごい物量作戦で迫るアメリカ軍をどうしても我々は日本軍側の目でみてしまい、絶望的な気分になるが、当のアメリカ軍側からみれば、それでもすごい恐怖だったのだろうなと感じた。また、当時の日本とはまったくレベルが違うものの、やはりアメリカも苦しい状況だったことがよくわかった。話は変わるが、いま「坂の上の雲」のドラマをテレビでやっているが、それで一番心に残るのは、軍部にひきずられて戦争に流れていく伊藤博文の苦悩である。日清戦争に勝ったから良かったようなものだが、負けていたら、太平洋戦争と同じような批判を浴びていたのだろうか。そもそもこのドラマは日新日露戦争を不可避のものととらえているのだろうか。もしあのとき、日本がこれらの戦争を起こさなかったら、今の日本はどうなっていたのだろうかと考え込んでしまう。この映画とあまり関係ないようだが、戦争を決断する人の立場までつい考えさせるような知的なところがこの映画にはあると思う。
 
11月17日(火)

太陽の帝国 (Empire of the Sun, スティーブン・スピルバーグ, 1987)

遅ればせながら、深夜放送されていた「太陽の帝国」をみた。前編と後編に分けて放送されており、前編をみた段階では、今ひとつと感じていたが、後編を観て、すごく良い映画のように思えてきた。やや突飛かもしれないが、筆者の解釈は、これはスピルバーグ版の「地獄の黙示録」なのではないか、ということとになる。コッポラとスピルバーグの親交はよく知られているので、そういう発想になったのだが、コッポラの「地獄の黙示録」はベトナム戦争という舞台設定をつかい、戦争の狂気を描きつつも、その残虐さを告発するという姿勢よりも、文学的(コンラッドの小説)、耽美的な作風であった。この「太陽の帝国」も、太平洋戦争を題材にして、その状況下の少年の目を通して、数々の狂気じみた状況を描きながら、反戦といった視点とは離れて戦争を描こうとしている気がした。そして、そこに忘れられないような美しいシーンがいくつかちりばめられたというわけである。しかし、地獄の黙示録にせよ、太陽の帝国にせよ、そのような「文学的な」映画は、戦争に直接かかわらざるを得なかったような人々からみれば、能天気な受け入れ難いものにみえるだろう。「太陽の帝国」が、これまであまり注目されてこなかったのは、そのせいなのではないか。そして、アカデミー賞がほしかったスピルバーグは、もっとストレートに反戦のメッセージが伝わる「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」を撮って、成功した、ということではないだろうか。この映画は、スピルバーグをもっと先に回顧するときに、その重要性が再評価されるような気がしてならない。
 
10月23日(金)

ガタカ (GATTACA、アンドリュー・ニコル、1997)

以前から見たいなと思っていた映画(もう製作から 12 年もたっている)をようやく見られた。映画の制作当時からみると、生命科学はさらなる発展をとげており、たとえば未来の再生医学の技術を使えば、主人公のような涙ぐましい努力はもう少し軽減されるかもしれないという気がするが、話の設定自体は今でも古びていないと言えるだろう。アンチユートピア的未来社会を描いた SF にだいたい共通するようなムードは陳腐ではあるが、にもかかわらず、全編を通して流れる乾いた叙情は素晴らしいと思った。

 ただ、イーサン・ホーク演ずる主人公はとにかく大変な努力の末に夢をかなえることができ、ジュード・ロー演じるエリートは最後に自殺してしまう結末には少し驚いた。日本映画だったら、ジュード・ロウの方も主人公に感化されて、本当に新しい生活を求めて旅立つ設定にするかもしれない。未来社会でそんなことは許されないのかもしれないが。ともかく、遺伝子が完璧でなくても頑張れば夢がかなうというメッセージなのだと思うが、がんばりだけではどうにもならない現実もあるわけで、この映画でいえば、主人公が弟に水泳で勝つ必要はなかったのではないだろうか。たとえかなわなくても、人間としての偉大さには関係ないというメッセージの映画にならないものかなと少し思った。
 
09月06日(日)

ヤング・ゼネレーション(Breaking Away, ピーター・イェーツ, 1979)

まったく聞いたことのない映画だったが、web 上での評判が良いようなので、何となく観たら、とてもいい映画だった。「青春映画の佳作」といってしまえばそれまでだけど、決して類型的な感じを与えない。さわやかで品のいい映画で、本当の青春時代の人がみたら反発したくなるのかもしれないけど、ある程度の年齢の人であれば、ノスタルジーも込みで魅了されると思う。ブルーミントンのインディアナ大学が重要な舞台になっているが、以前そこの大学から来た日系人にその大学のことを教えてもらった思い出もあり、個人的には特に興味をもてた。それから、自分の物忘れのひどさにあきれる日々なのにもかかわらず、ピーター・イェーツという名前をきいたら、反射的に「ブリット」と思い出された自分にも驚かされた。決して覚えようと努力したことはなかったはずなのに。。
 
08月26日(水)

秘密のかけら (Where the truth lies、アトム・エゴヤン、2005)

1950 年代に人気絶頂だった米国のコメディアンコンビにまつわる怪事件を1970 年代に彼らと因縁浅からぬジャーナリストが調査するというお話。いろいろな視点から事件が語られるのと、クスリが重要な要素になっていることから、なんとなく「薮の中」のような展開を予想していたら、意外にも最後は謎が解明された。人間の醜い側面や性的な描写も多く、大人向けドラマではあるが、画面も美しく、見応えがあった。この監督さんのことはまったく知らなかったが、すでに知る人ぞ知る存在らしい。

 ケヴィン・ベーコンなど、有名な俳優さんが頑張っているし、映像もストーリーもよくできているのに、公開当時の記憶がまったくないのは、やはり日本で受けなかったからだと思う。不思議だが、いわゆるアートフィルムと一般向け作品の間でどっちつかずなところが理由なのかもしれない。個人的には、こういう映画は大歓迎なのだけれど。
 
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