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08月18日(火)

表現力!爆笑問題×東京藝術大学(NHK 2009年8月17日放映)

「爆笑問題のニッポンの教養」という番組は、ときおり知っている先生も出演されるし、時間があるときはしばしば観ている。以前東京芸術大学の学長さんがでてこられたときも、偶然観ていたが、今回の芸大を中心とするスペシャル編はいろいろな点でとても面白かった。

 まず、一言発言されるだけの先生方でも、一瞬だがその代表作品をちらっと映していたのが良かった。その人がどんな作品を作っているのかという情報が、一番優れた背景説明というか、自己紹介になってしまうところが芸術作品のすごさだと思った。次に、すでに 20 世紀の後半になって通常の美意識が徹底的に破壊されてしまったかに見える芸術の分野でも、意外に古典的な美を追求している人が多いようなことに驚いた。たとえば木彫とか。学長さんの作品も古典的ではあるが、なにがしかの現代性は感じさせる気はしたが。最近、朝日新聞で「現代○○」として、現代音楽や現代思想などの過去現在未来を特集した記事があったが、むしろ芸大の先生や生徒達に現代芸術の未来を問うてほしかった。

 その意味で、後半の討論は少し食い足りなさが残った。太田氏の今回の主張はいつになくクリアだと感じた。前回の出演で彼が感じた彼と学長の表現者としての違いは、受け取り手の数を強く意識するかどうかだという。僕はそれはその通りだと思う。ジャズのカリスマとかいう人が、メディアの問題だと解釈しようとしていたが、そうではなく、単純な数の問題だと思う。表現するなら、たくさんの人に訴えたいと考えるのが自然だと言う訳。これに対して、美に対する信頼とか玄人の権威とかの崩壊を経験してしまった先生方は、「武士は食わねど高楊枝」のような答えを返すことはできない。でも僕は思う。そもそもたくさんの人に聴いてもらうのが目的で音楽をやるのだったら、クラシック音楽なんてやらないのでは。たとえ一部の人にしかわかってもらえなくても、これはすごい価値があると信じるからやるのではなかろうか。

 太田氏はおそらく上のような答えを期待していたのだと思う。不発ではあったが、彼が述べた第2のポイントは、受け手の数によって達成度が評価される世界では、ときには資本家の横暴によって、表現者のプライドを傷つけられるが、自分たちはそのせめぎあいの中で芸を磨いてきたという自負があるということだと思う。少数の受け取り手しかいない芸術家も、そのような資本主義との対決を通して生きていくべきなのではないかという訴えであろう。同じようなプレッシャーと闘っているのは、たとえばアニメ作家ではないかと思った。宮崎駿氏とか。彼らの場合は多くのスタッフを養う必要がある。しかしやっぱり「芸術家」は、世の中に少数でもいいから、資本の論理とは離れた世界で生きてほしいと願うのは、ナイーブすぎるだろうか。
 

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